3店のマルト調剤薬局がいわき市の医療を守った
さらに、ほとんどの医療機関が休業したため、しばらくの間いわき市は「医療の空白地帯」になってしまいました。震災前、人口35万人のいわき市には120の医療機関がありましたが、3月16日以降、開業しているのはわずか4医療機関となっていました。まさにいわき市は、医療難民であふれかえってしまったのです。当社の社員の中にも、入院したばかりの父親が、「病院は休業するので自宅に帰ってくれ」といわれ、困惑する者もおりました。
震災後の3月12日から当社は、厚生労働省医薬食品局発信の「東日本大震災における処方せん医薬品の取扱いについて」に従い、「身分証明書」もしくは「おくすり手帳」があれば、医師の処方せんがなくても、1週間分の調剤薬を処方するようにしました。他の調剤薬局も震災直後は、同様の対応をしました。しかし、原発の風評被害の出た16日以降は病院が閉鎖され、ほとんどの調剤薬局も休業しました。結局いわき市で調剤薬を受け取れる薬局はマルトの調剤薬局の3店舗だけになり、通常は1店舗約100~150人/日の患者数なのが、毎日1,000~2,000人の患者様がマルトの調剤薬局に殺到するようになりました。
当社の薬剤師は、殺到する患者様の要望に応えるために、朝の7時から夜の12時過ぎまで、薬を調合しつづけました。
さらに、他の地域から来局される方々の要求に応えるために、震災前の2倍に調剤薬の取扱い品目数を増やしたので、はじめて見る処方せんや薬にも対応しなければならず、「調剤過誤を起こさないで、できるだけ早く処理するjための薬剤師たちの精神的な負担は想像を絶するものでした。集中力を切らさず、一日中立ちっぱなしの過酷な状況で、当社の薬剤師はいわき市の医療を守ったのです。彼らが激務に耐えられたのは、「いわきの医療はわれわれが守るのだ」という崇高な使命感以外の何物でもなかったと思います。
患者様の待ち時間は平均で4~5時間。病院が18時に閉まったあとも、次から次に新しい患者様が殺到しました。上記の厚生労働省通知では薬を1週間分処方してもよいことになっていたのですが、16日以降は、薬を早く処方するために3日分しか出すことができなくなりました。
それでも途切れることなく調剤薬を提供することができたのは、地元福島県の医薬品卸の恒和薬品様が24時間態勢で薬を届けてくれたからです。同社の営業マンは車に寝袋を用意し、当社に薬を供給し続けたそうです。ありがたいことです。
私は、小売業の最大の使命は、「店を開けること」だと思います。一方、卸売業の使命は「商品を届けること」です。約1ヵ月間「陸の孤島」になってしまったいわき市の医療を守ることができたのは、現場社員の一人ひとりの使命感のおかげだと思います。