CSR活動

東日本大震災発生後の取り組み

東日本大震災発生後のいわきの「医療」と「生活」を守るために、くすりのマルトがどのような対応をしたのか、その奮闘ぶりを安島力社長が月刊マーチャンダイジングよりインタビューを受けて独白した内容をご紹介いたします。

以下、2011年6月号の記事より一部抜粋したものになります。

150店あったコンビニが3週間も閉店した

当日(3月11日)は、13時ごろまで幕張メッセのドラッグ、ストアショーの会場にいました。その後、同行した社員たちと木更津(千葉方面)の店舗見学会を実施していたところ、今回の東日本大震災に遭遇しました。すぐさま本部に連絡すると、本部の建物も一部損壊し、津波の被害も出ているという報告。大渋滞の中、17時ごろ市原あたりを通過していたところ、例のコンビナートのガス爆発を目にしました。爆風の衝撃で車が大きく揺れたのを覚えています。

高速道路も全面ストップし、その後渋滞が解消するはずもなく、翌朝の7時にようやく「いわき市」にたどり着き、7時30分から緊急対策会議を聞き、震災の対応に追われる日々が始まりました。震災直後は、総店舗数44店の約半数の店しか営業することができませんでした。レジは停電により稼働しないため、ベットボトル飲料はすべて100円などにして、できるだけ釣銭が出ない方法で営業しました。混乱と品不足の中、少しずつ復興へと向かう毎日でした。

そんな中、3月15日に枝野官房長官から、いわき市のほんの一部(北部2km)を福島原発の屋内退避圏内(原発より30km圏内)に設定をするという発表がありました。それから、一気にいわき市に商品が供給されなくなりました。ほとんどの運送業者は放射能被害を恐れていわき市に物資を運ばなくなりました。一方、多くのいわき市民も県外に逃れる状態が続き、一時期いわき市の人口は激減しました。車を運転して店を回っていても、対向車と一台もすれ違わない日もありました。まるでゴーストタウンです。

いわき市に150店あったCVS(コンビニ)も、他のSM(スーパーマーケット)やDg.S(ドラッグストア)もすべて閉店し、3月15日以降の数日間は、SMではマルトの4店、Dg.Sではくすりのマルトの4店、調剤薬局では一部の個人薬局と当社3店だけがいわき市で営業するすべての小売店舗になりました。当社としては、もっと多くの店で営業を再開したいと思っていたのですが、なにせ商品が調達できず、やむなく限られた店舗だけでの営業となりました。3月いっぱいその状態が続きました。

品不足は異常を極めました。先にも申し上げたとおり、原発の風評被害で卸売業や運送業者がいわき市に一切商品を供給してくれなくなったのですから。県境の北茨城市(茨城県)のCVSには商品があるのに、そこから200m程度しか離れていない「いわきのCVSJにはまったく商品がないという状態が3週間以上も続きました。

また、3月15日の夜からは、住民だけでなく建物の復興を担うゼネコンなどの建設業者、医療関係者の多くもいわき市から避難し、技術者がいなくなることでライフラインの復旧もそれに従い大幅に遅れていくことになります。それ以降も復旧のめどが立たす、日々事態が悪化する空白期間を過ごしました。

To top